- GoogleMapで、掲示物・案内板・立札・石碑などのおおよその位置を示しています。
- 写真の撮影及び文字起しをした日:2024年(令和6年)8月
文字起こし内容
赤山街道(あかやまかいどう)
所在地 浦和市大字大間木
赤山街道は、関東郡代の伊奈(いな)氏が寛永(かんえい)六年(一六二九)に陣屋を構えた赤山(川口市赤山)に向かう街道てあった。街道の起点は与野市あたりと考えられ、浦和市内の木崎・三室・尾間木地区から八下堤(はっちょうづつみ)を通って赤山に通じていた。
伊奈氏は、清和源氏の流れを汲む武人で、信州伊奈に住んだことから伊奈氏を称した。その後三河に移り松平氏、徳川家康に仕え、家康の関東入国後、伊奈氏は小室(伊奈町)、鴻巣などに一万石を領し、小室や土屋(大宮市)などに陣屋をおいて累代治水事業に力を注いだ。
三代目半十郎忠治(ただはる)は、関東郡代となり、また勘定奉行も兼ね、赤山領七千石を拝領し、赤山に陣屋を移した。
忠治は治水、灌漑(かんがい)、新田開発に力を入れ、特に利根川、荒川の大改修を行い、寛永六年には八丁堤を築き見沼溜井造成に着手した。
現在、赤山街道は与野市や浦和市内で赤山横丁とか赤山通りと呼ばれ、歴史と生活が結びついた道路となっている。
昭和五十八年三月
埼玉県
このコンテンツについて
㈱マスターズホームが、さいたま市緑区にお住いの小中学生に保護者様承諾のもと、地元の歴史や文化を学ぶことを念頭に、写真の撮影や文字起しをして頂き作成されたコンテンツです。今後は川口市内(東浦和駅近辺)も含め、ご協力頂ける方を募集する予定です。(図書カードNEXTを進呈)
八丁堤(はっちょうづつみ)
GoogleMapで、掲示物・案内板・立札・石碑などのおおよその位置を示しています。 写真の撮影及び文字起しをした日:2024年(令和6年)8月 文字起こし内容 八丁堤(はっちょうづつみ) 所在地 さいたま市緑区大間木~川口市木曽呂 八丁堤...