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- 写真の撮影及び文字起しをした日:2024年(令和6年)8月
文字起こし内容
大間木氷川神社本殿 一棟
指定年月日 昭和四十七年四月十九日
この本殿は、「神社明細帳」には、寛文七年(一六六七)、武蔵国一宮氷川神社(大宮市)の造替にあたり、旧本殿を買受けて建立したとある。さらに、平成七年の修理の際、寛文七年二月、氷川大明神一宇を造立した旨が記された棟札が見つかり、この地での建立時期を明らかにすることができた。
本殿は、一間社流造り、屋根、旧・こけら葺き(現・こけら葺き形銅板葺き)で、桁行(けたゆき)二・五六メートル、梁間(はりま)二・四五メートルの身舎に奥行一・九六メートルの向拝がつく。土台上に立ち、身舎柱は円柱(縁より下は八角形)で、長押(なげし)、頭貫(かしらぬき)、腰貫(こしぬき)で固め、柱上は連三斗組(つれみつどぐみ)となる。中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)で、正面は鳳凰、左右は牡丹の彫刻である。柱間は、正面が幣軸(へいじく)に板唐尸、他の三面が横嵌板となる。正面および両側面は浜緑がめぐり、脇障子、高欄がつく。妻飾りは、虹梁(こうりょう)・太瓶束(たいへいづか)式である。向拝柱は、大面取りの角柱で、身舎柱とは海老虹梁で繋がれている。向拝柱には、絵様(えよう)木鼻のある水引虹梁を架し、柱上連三斗組(つれみつどぐみ)、中備は蟇股で、竹に虎の彫刻がある。正面に五級の木階を設け、向拝柱の前面に大床を張る。軒は二重の繁だるきで、飛檐(ひえん)だるきは先端に反り増しが見られる。
平成五年七月、拝殿の火災で罷災し、大きく焼損したが、平成七・八年にかけて浦和市の補助事業として根本修理を施し、寛文期の姿に復した。
この本殿は、武蔵国一宮の旧本殿と考えられる貴重な遺構であり、建立年代を明らかにし、規模大きく、意匠も優れた建築として、きわめて保存価値が高いと言える。
平成八年十一月
浦和市教育委員会
氷川神社
文化財に関する問合せ先…さいたま市教育委員会文化財保護課
このコンテンツについて
㈱マスターズホームが、さいたま市緑区にお住いの小中学生に保護者様承諾のもと、地元の歴史や文化を学ぶことを念頭に、写真の撮影や文字起しをして頂き作成されたコンテンツです。今後は川口市内(東浦和駅近辺)も含め、ご協力頂ける方を募集する予定です。(図書カードNEXTを進呈)