八丁堤(はっちょうづつみ)

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  • 写真の撮影及び文字起しをした日:2024年(令和6年)8月

文字起こし内容

八丁堤(はっちょうづつみ)

所在地 さいたま市緑区大間木~川口市木曽呂

八丁堤は、関東郡代の伊奈半十郎忠治(いなはんじゅうろうただはる)が築いた人工の堤である。この堤は、長さが八町(約八七〇メートル)ほどあるのでその名がつけらた。

徳川家康の関東入国後、伊奈氏は累代治水事業に力を尽し、利根川や荒川の流路を替えたり灌漑用水池をつくるなど関東地方の治川事業を次々に完成させた。見沼溜井もその一つである。

寛永六年(一六二九)、伊奈忠治は、両岸の台地が最も接する旧浦和市大間木の附島と川口市木曽呂の間に八丁堤を築き灌漑用水池をつくった。その面積は一二〇〇ヘクタールに及ぶ広大な溜井であった。この溜井は、下流地域二二一か村の灌漑用水として使われたが、大雨が続くと氾らんしたり、旱ばつのときは、水が足りなくなったりするなどいろいろ不都合が出て、享保十二年(一七二七)、八代将軍吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永によって干拓されるに至った。

また、この八丁堤は、寛永六年に伊奈忠治が陣屋を構えた赤山に通ずる「赤山街道」の一部でもある。

昭和五十八年三月

さいたま市

このコンテンツについて

㈱マスターズホームが、さいたま市緑区にお住いの小中学生に保護者様承諾のもと、地元の歴史や文化を学ぶことを念頭に、写真の撮影や文字起しをして頂き作成されたコンテンツです。今後は川口市内(東浦和駅近辺)も含め、ご協力頂ける方を募集する予定です。(図書カードNEXTを進呈)

赤山街道
GoogleMapで、掲示物・案内板・立札・石碑などのおおよその位置を示しています。 写真の撮影及び文字起しをした日:2024年(令和6年)8月 文字起こし内容 赤山街道(あかやまかいどう) 所在地 浦和市大字大間木 赤山街道は、関東郡代の...
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